27年世代 その1:レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ

ヘネラシオン・デル・27(27年世代) | その1 レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ

スペインの著名なギターリスト、ギター教授レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサはエルナンデス・イ・アグアドのギター製作に多大な貢献をしました(エッセイ:スペインの歴史的ギター: エルナンデス・イ・アグアド)。

「ヘネラシオン・デル・27(27年世代) 」はとても興味深い近代スペインの文化運動で、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサも多大な貢献をしました。

このエッセイ(とその続き)はマエストロ・レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサと「ヘネラシオン・デル・27(27年世代) 」について、ギターとの関連を含めて取り上げます。

 

[レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ・イ・ルイス 簡略バイオグラフィー]

レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ( 1896年9月7日、ブルゴス – 1981年11月26日、マドリッド) は10歳の時にギター、ソルフェージュ、そしてピアノを始め、14歳で和声を学ぶ。

17歳の時にマドリッドにて、フランシスコ・タレガの一番弟子であるダニエル・フォルテア(1882-1953)のレッスンを受ける。

1917年 バルセロナへ移り演奏家としての活動を始める。

1920年 マヌエル・デ・ファリャ(1876-1946)と共演しマドリッドのララ劇場にてデビューする。

同3月、「レシデンシア・デ・エストゥディアンテス(Residencia de Estudiantes)」にてフェデリコ・ガルシーア・ロルカと知り合う。(※注)レシデンシア・デ・エストゥディアンテスとはスペインのマドリッドにある名門の文化施設で、イギリスの名門、オックスフォードやケンブリッジ大学等をマドリッドに移植する意図がありました。20世紀の前半に当時の最も有望な若手芸術家たちや作家たちがここに集まりました。

1935年 マドリッド王立音楽院初のギター教授に任命される。

1940年 ホアキン・ロドリーゴの「アランフエス協奏曲」をバルセロナで世界初演。この有名な協奏曲はデ・ラ・マーサとスペインの裕福な貴族で芸術の支援者であったボラルケ侯爵(Marqués de Bolarque)によって依頼され作曲されました。

1955年 16世紀の音楽作品の研究とギターのレパートリーへ取り入れる為のたゆまない努力の結果、エッセイ 「ギターとその歴史」 を出版(アテネオ、マドリッド)。

1958年 王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入る。 「ルネッサンスからバロック時代のリュート・ビウエラ・ギター音楽」 と言う講演をする。音楽史上初めてギターが美術アカデミーに迎えられる。

 

ヘネラシオン・デル・27(27年世代)

かつて黄金時代を謳歌したスペインも植民地を失い、政治的・経済的に陰りが出始め、不安な兆候が空気中に漂っていました。こうした社会情勢を背景に、ヘネラシオン・デル・27(27年世代)とは1927年を中心に、その当時の美学や人生に対する懸念を共有した詩人達が集い、バロック時代の詩人、ルイス・デ・ゴンゴラの死後300周年を記念してセビリアのアテネオで追悼の会合をした事に端を発する文化的運動です。

通常のメンバーは、ホルヘ・ギジェン(Jorge Guillén)、ペドロ・サリーナス(Pedro Salinas)、ラファエル・アルベルティ(Rafael Alberti)、 フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(Federico García Lorca)、ダマソ・アロンソ(Dámaso Alonso)、ヘラルド・ディエゴ(Gerardo Diego)、ルイス・セルヌーダ(Luis Cernuda)、ビセンテ・アレイクサンドレ(Vicente Aleixandre)、 マヌエル・アルトラギレ(Manuel Altolaguirre)、 エミリオ・プラドス(Emilio Prados)の10名ですが、この文化的運動は広範囲に及び、上記のメンバー以外にも多数の作家、小説家、エッセイスト、劇作家、画家(サルバドール・ダリ等)、映画監督(ルイス・ブニュエル等)や音楽家がいます。

このグループに属する音楽家の中には、マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla)、ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo)、フラダリーク(フェデリコ)・モンポウ(Frederic Mompou)、 サルバドール・バカリッセ(Salvador Bacarisse)、エルネスト/ロドルフォ ハルフテル(Ernesto/Rodolfo Halffter)兄弟などがいます。

「ヘネラシオン・デル・27(27年世代)」のコンセプトを一言で言い表す事は難しいですが、その特徴の一つとして、対極をなす美学観や価値観に均衡を求める傾向があげられます。いつの世も社会が激しく変動する際には今まで定着していた価値観が急に通用しなくなったりして混乱するものですが、当時のスペインもまさに、伝統的なものと新しいもの、学術的なものと前衛的なもの、ロマン派的なインスピレーションと古典派的な規律、というような美学的な理想概念が真っ二つに分断されていたようです。この時代の芸術家達はこの相反する美的感覚にナショナリズムという文法を用いて有機的に折り合いをつけることに成功したといえます。